ドキュメンタリー映画の「ライフ・イズ・カラフル!未来をデザインする男 ピエール・カルダン」を観てきました。
デザイナーのピエール・カルダンは、90歳を過ぎても、現役で活躍していました。
彼の歩んできた道のりを、彼自身と、多くのデザイナーやスタッフたちが、語ります。
ライフイズカラフル!ピエール・カルダン
1922年生まれの、カルダンは、2歳のときに、ファシズムが大頭するイタリアから、家族と共に、フランスに逃れてきました。
20代で、ファッションの道に進み、パリで、仕立て屋として、頭角を現します。
30代で、自身のオートクチュールコレクションを発表し、デザイナーとして、成功していきます。
カルダンは、高級仕立服のデザイナーでありながら、プレタポルテ(既製服)、紳士服、映画の衣装、家具など、様々な分野に挑戦します。
芸術の分野でも、劇場の経営をしながら、多くの才能を発掘しました。
彼は、デザイナーとしてだけではなく、ビジネスマンとしても、成功をおさめます。
カルダンブランドを、外国とのライセンス契約で、世界に広めていきました。
映画で見るピエール・カルダンの人間像
映画には、ピエール・カルダン自身の、過去の映像とインタビューが、数多く盛り込まれています。
また、カルダンブランドの、デザイナーやスタッフたちの、思い出話も聞けます。
「シャロン・ストーン」や、恋人だった「ジャンヌ・モロー」などのインタビューもあります。
カルダンは、ショーのモデルとして、積極的に、外国人や白人以外の人たちを、起用しました。
「ナオミ・キャンベル」や、日本人モデルの「弘子」などが、その人たちです。
彼は、人種や肌の色に関係なく、自分の目にとまった人々を、取り上げました。
大衆にモードを広め、ファッションに疎かった外国にも、カラフルな洋服を広めていきます。
現地で服を製作して、その国の中で、仕事を作り、ビジネスができるようにしていった功績は、大きいです。
森英恵さんや、先日亡くなられた、高田賢三さんも、カルダンとの思い出を語ります。
立体裁断を日本にもたらしたのも、カルダンです。
積極的に海外に進出することで、中国やロシアなどでも、広く知られた存在になります。
芸術としてのファッションショーと音楽
ピエール・カルダンは、だだ、コレクションを発表するだけではなく、ファッションのショーとして、見せていたようです。
この映画では、断片的な映像しか見れませんが、万里の頂上やモスクワでのショーなど、画期的なアプローチをしていました。
服を「芸術として見せていく」ということです。
映画全般に流れている音楽も、斬新で、よかったです。
何十年もの間、常に、新しいことに取り組んできたピエール・カルダンは、2014年に、パリに「カルダン美術館」をオープンしました。
映画の中の、彼の服やショーの映像を、もっとゆっくり見たかったのですが、カットが早く、追いつかなかったです。
(字幕を読んでいると、映像をゆっくり見れない。)
カルダン美術館に行って、時間をかけて、衣装を見たいものです。
最後に
カルダンは、ジャンヌ・モローという女優の恋人もいましたが、同性愛者でもあったようです。
彼は、自由な思想と行動力をもった人で、高齢になっても仕事を愛し、働き続けていました。
「ライフ・イズ・カラフル」鑑賞後の、2020年12月末、ピエール・カルダン氏は、98歳で、亡くなりました。
ご冥福をお祈りします。
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